平成16年度

教養試験

※No.1~No.8については、著作権の問題により非掲載

No.9

ある科学博物館でロボットコンテストの第一次選考が行われた。これはロポットA,B,Cのうち最終選考に残すロボットを入場者全員が投票して決めるものであり,投票のルールは次のとおりであった。
 O投票者は最終選考に残すに値すると思ったロボットの名前を一つから三つまで記入できる。
 O投票者はどのロボットも最終選考に残すに値しないと思ったなら,白紙で投票できる。
このとき投票結果を集計してみると,ア,イ,ウのことが分かったが,これらから確実にいえるのはどれか。

 ア.Aに投票した人は,Bに投票しなかった。
 イ.Cに投票した人は,Aに投票しなかった。
 ウ.Aに投票しなかった人は,BかCの少なくとも一方には投票しなかった。


1 二つ以上の名前を記入した人はいなかった。
2 白紙で投票した人はいなかった。
3 A,B,Cすべての名前を記入した人がいた。
4 Aに投票しなかった人は,必ずCに投票した。
5 Bに投票した人は,必ずCにも投票した。


専門試験

No.1

我が国の政治思想家に関する次の記述のうち,妥当なのはどれか。

1 植木枝盛は,明治から大正にかけて活躍した思想家である。片山潜らとともに社会主義研究会を設立し,『共産党宣言』を翻訳した。また,憲法に「抵抗権」や「革命権」を明文化することを主張し,大逆事件に連座した。

2 中江兆民は,S.スマイルズの『西国立志編』やJ.S.ミルの『自由之理』を翻訳するなどして,自由民権運動の理論的指導者のー人となった。後には,元老院議員,貴族院議員を歴任し,政府内や議会においても活躍した。

3 平塚らいてうは,青鞜社を結成し,『青鞜』に女性の権利を主張した「元始,女性は太陽であった」を発表した。のち,市川房枝らと新婦人協会を結成した。第二次世界大戦後には,平和運動や婦人運動の統一などに活躍した。

4 福沢諭吉は,明治14年の政変を機に政府を去り,慶應義塾を創立するとともに,『学問のすゝめ』や『文明論之概略』を著し,自由民権運動に力を入れた。自由民権運動が過激化すると,その正当性を主張してこれを擁護した。

5 吉野作造は,「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」で,天皇と国民が共に主権者であるという民本主義を唱え,大正デモクラシーの発展に寄与した。しかし,昭和になると国体に合わないとされて,その掲載雑誌が発禁処分となった。